锦城高校位于东京都的小平市,是日本高偏差值的私立学校。学校社团活动丰富多彩,设有文化部和体育部,学校的教育理念是坚持传统的校风,磨练头脑,身体和心灵。学校不仅仅是只是为了考试而进行教育,所谓的高等学校,是田地的意思,是把学生们当做植物来培养的田地。想要把学生养大,就需要去重视根的培养。如果只是为了让学生去大学而培养根的话那么这个根除了能够升学以外将一无是处。所谓的高校,就是要培养学生的各种可能性,这就是培养头脑、身体和心灵的意思。
錦城高等学校は、東京都小平市大沼町にある日本の私立学校。全日制の男女共学校で、学校法人錦城学園が運営している。
教育理念
本校は、ただ単に受験のための教育を行うことに奔走する気はありません。高等学校というのは畑の土で、生徒はそこに育つ植物です。植物を大きくするには、まず根っこを育てることが大切で、もし大学に行くためだけの根を育てるとするならば、その根は進学した時点で使えなくなってしまいます。高校というのは、人間が将来必要となる根をいろいろ育てなければならず、それが「頭と体と心を育てる」ということです。
部活動をはじめ、いろいろなことに挑戦しながら生徒が見るからに皆たくましく、のびのびと育っているのが本校の大きな特徴です。
校訓
「知性・進取・誠意」を掲げ、進取の精神で知性を磨き、誠意ある人間になることを目標にしています。
沿革
明治13(1880)年、福沢諭吉の高弟で、政治家・ジャーナリストとして活躍していた矢野龍溪等が「正しい英語を教え、世界的視野をもつ人材を育成する」ために、東京三田の慶応義塾内に三田英学校を創立したのが、本学の前身である。その後、明治22(1889)年神田錦町に移転して校名を「錦城学校」と改称した。その後、「錦城学校尋常中学校」「錦城中学校」と変遷し、明治40(1907)年「錦城商業学校」が併設されて、幾多の有能な人材を輩出した。第二次世界大戦を経て、昭和22(1947)年から新学制が施行され新生「錦城中学校」を設置、翌年「錦城高等学校普通科・商業科」(昼・夜間)が設置された。昭和28(1953)年に「錦城高等学校商業科」を「錦城商業高等学校」に改称、さらに昭和47(1953)年には「錦城学園高等学校」と改称して現在に至っている。
昭和38(1963)年、新たな地を小平に求めて「錦城高等学校」を開校した。平成9(1997)年には34年間の男子校に終わりを告げて共学に移行した。これにともない神田の「錦城学園高等学校」も平成18(2006)年度より共学に移行した。小平校では平成23(2011)年に新校舎が完成、平成25(2013)年には学校法人錦城学園 錦城学園高等学校創立130周年・錦城高等学校創立50周年記念式典を両校教職員・生徒・同窓会・保護者が一丸となって盛大に開催した。 |